water paint
水彩画
戦国乱世最後の決戦「大坂の陣」400年を経た今も魅了しつづける真田幸村が生きて、戦ってそして戦没した街・歴史がここにあります。
NHK大河ドラマ「真田丸」の放映を期に舞台となった大阪市天王寺区の活性化ツールの一つとして、エピソードとなった名所を水彩画で描き詩歌を添えた作品。ポストカードやクリアファイルなどを制作。天王寺区役所などで原画展も開かれました。
方広寺(方広寺鐘銘事件)
秀頼が東山の方広寺に奉納した梵鐘に刻まれた「国家安康」「君臣豊楽」の銘文に対する家康の言いがかりが「大坂の陣」開戦のきっかけとなる。
◇東山/東西手切れの/鐘の音
真田庵
関ヶ原の敗戦により九度山に幽閉されていた信繁、山中で果てる覚悟もしていた信繁にとって豊臣家から願ってもない誘いの知らせが届いた。
◇九度山で/果てる覚悟の/戦さかな
大坂城 (幸村入城)
真田家の分裂により徳川方に兄・信之がいるため信繁は疑いの目を避けるため兄と同じ「信」の字を捨て、名を「幸村」に変えて大坂城に入城。
◇信繁の/名を里に捨て/大坂城
真田山公園
豊臣家の首脳陣によって出撃策を却下された幸村は難攻不落の大坂城唯一の南側の弱点に出丸(真田丸)を築き自ら最前線で敵軍の接近を防ぐ。
◇真田丸/兵(つはもの)どもの/赤備え
円珠庵(鎌八幡)
幸村が冬の陣の戦いに挑む最に必勝を願って御神木の榎の巨樹を「鎌八幡菩薩」と称して鎌を打ち込んだところ願い通り戦勝をあげたと伝わる。
◇鎌八幡/戦勝願う/冬の陣
三光神社(真田の抜け穴)
幸村は大坂城の南側に築いた「真田丸」の一角に城と出丸を繋ぐ抜け穴を作り敵軍を翻弄したと伝承されている。
◇冬の陣/神出鬼没/真田の抜け穴
四天王寺(南大門)
南大門前で布陣を置く毛利軍の物見が殺気立って合図を待てず、東軍・本田忠朝軍めがけ銃撃を仕掛けたことで「夏の陣」が開戦された。
◇四天王寺/火ぶた切られし/夏の陣
茶臼山
家康本陣に突入すべく茶臼山に布陣する真田幸村ひきいる赤備えの軍勢は、あたかもつつじの花盛りのように群れなびかせたと伝わる。
◇いざ出陣/つつじの盛るや/茶臼山
一心寺
幸村が赤備えの軍をひきいて家康本陣に突入するも追い詰められた家康が寺内の松の陰に隠れたところ霧が立ち込め一命をとりとめたと伝わる。
◇霧降の/松に隠れし/家康公
安居天神
家康本陣への3度におよぶ攻撃で疲労しきった幸村は敵の包囲を逃れ、近くの安居天神の松の下で休息中に東軍の一隊に踏み込まれ陣没した。
◇無念かな/幸村陣没/松落葉
大坂城 (陥落)
家康を討ち取る機会も奪われた豊臣勢はほぼ壊滅し撤退するも、もはや勝敗は明白、敵軍に本丸を攻め込まれ大坂城陥落、ついに豊臣家が滅ぶ。
◇終焉か/業火が焦がす/夏の空
心眼寺
大坂夏の陣の数年後、「真田丸」の跡地に白牟(はくむ)上人によって真田幸村・大助親子の冥福を弔うために堂舎が創建された。
◇真田丸/父子冥(ね)むるる/心眼寺
畦野物語
うねのものがたり
畦野(川西市)の地名が、神聖な「かしはの葉」を天皇が采女(うねめ・宮廷の女官)に採りに行かせたことからきているという史実を糸口に猪名川流域の「自然」「歴史」「文化」の特色を「人と自然」という新しい視点から書かれた物語です。
宝塚市「北摂里山博物館」の依頼で植物生態学者・服部保さんの解説書「畦野物語(うねのものがたり)」を基に主人公の女性3人が里山を巡りながら猪名川流域に生息する植物や昆虫を紙芝居を通して紹介するための原画を制作。各地で紙芝居の催しが開かれました。
8世紀初、ある年の10月に京で盛大な宴が開かれることになりました。そこで、天皇の命により神に供物したり、大使に食物を接待する「葉盤(ひらで)」に必要な神聖な「カシワの葉」の採集と風土編纂の情報収集のため、その年の5月、三人の采女(うねめ)が平城京を出発し平野村(現在の川西市)に向かうこととなりました。
平野村に到着した采女たちは多太神社に村人たちを集め、天皇の命を告げました。村人たちは自分の村のカシワの葉を採りに京より采女が来られたことを誇りに思い、後に村の名前を「畦野(うねの)」としました。
カシワの採集には兵馬司の命により、この辺りの地理や自然に詳しい畝野牧で働く18歳の村の青年が任務を手伝うことになりました。そして、その青年の案内で采女たちは畝野牧のカシワの生息地に向かい、たくさんの良質のカシワの葉を採取しました。
5月の中頃、采女たちにはもう一つの任務である川辺郡の産物調べのため一庫に出かけます。その途中、植物に詳しい采女がいたずら心で他の采女にタデの葉を噛ませると、あまりの辛さに二人は慌てて川の水を飲みました。「タデ食う虫も好き好き」という諺を告げました。
一庫にはクヌギがたくさん生息しています。クヌギは甘酸っぱい匂いがするためたくさんの昆虫が集まってきます。昆虫好きな采女が喜んで見つけたオオクワガタを掴んだところ、指を挟まれてしましました。村の青年は急いで采女の手を掴み、オオクワガタに息を吹きかけると指から離れました。
カシワの採集を終えた采女たちは、今回の任務が無事に終わるように多太神社にお参りした後、森へ入るお許しをいただこうと森へ入ろうとした時、突然「ウィーン」という大きな声が森中に響き、采女たちはびっくりしました。それは神聖な森に入るなと警告しているように聞こえました。
山頂に不思議な森があると聞いた采女たちは妙見山に向かいました。そこで従来のサクラとは異なる、見たことのないサクラの大木と出会いました。そして、その花だけをつける珍しいサクラに妙見山の「妙」をとり「タエザクラ」と名付けました。
夜も更け、ブナ林内にある小さなほこらで泊まることにしました。夕食を終えると辺りは暗闇です。すると林間に橙色の小さな光が見えました。蛍です。采女たちは水辺ではなく森の中で生息するこの珍しい蛍を「モリボタル」と名付けました。
村に戻るとたいそう賑わっていました。村長に尋ねると今夜は「歌垣の日」だそうです。歌垣とは未婚の男女多数が山や丘に登って一緒に歌ったり、食事したりしながら特定の異性を探し、愛を語らうという村の習俗です。早速、采女たちは地域の伝統文化の記録のため見学することにしました。
暗い中を歩きながら歌を書き留めていた采女が足元の木の根に気づかず、つまずいて倒れそうになりました。すると側にいた村の青年が松明を片手に采女を抱き留めました。一瞬何が起こったか分からなかった采女は密かに想いを寄せていた村の青年に抱きかかえられていることに気づくと、少し幸せを感じました。
3ヶ月間でたくさんの「葉盤」を作り、各地の植物、昆虫、岩石の採集し、産物の調査記録も膨大なものとなり、いよいよ京に戻る日が来ました。「このような素晴らしい自然の恵み中で暮らしている皆様は大変に幸せだと思います。ぜひ子供たちにこの自然の素晴らしさを伝えてください。長い間ありがとうございました。」と見送りに集まった村人たちに涙を流しながら別れを告げました。